古ィルムカメラ探しをしていると 必ずお世話になる ヤフオク
けっこうな頻度でみかけるこのカメラ
トイカメラ然とした いでたちの割に
いざ入札をすると 案外高価で落札されてたりして
気が付けば 人の手にわたってしまう 競り勝てないカメラ
どうしても欲しいかと問われても
所有欲にも 機械的興味にも そんなに刺さらない
実に 不思議なカメラ
オークションでも
気が付くと出品されていて 競り負けて 知らない誰かのもとへ消えていく
web情報の 乏しい 謎カメラ
中判カメラで 時代を築いた マミヤの謎カメラ
マミヤ マミーを紹介したいとおもいます
マミヤマミー mamiya mammy ってどんなカメラ?
第二次世界大戦後の混乱もようやく落ち着いてきた1950年代
若い世代にもカメラを使ってもらって
写真の底辺を 拡げようとする動きが出てきます
* *
一足早く1950年に発売された ベークライト製カメラ start35は
小学生をターゲットにして 700円で売り出され 注目を集めます
多くの類似カメラも発売されて 人気に拍車がかかりました
専用のボルタ判フイルムは 安価に供給されて
本家ドイツよりも 日本で入門カメラのフイルムとして 人気を博します
* *
ボルタ判ベークライトカメラ人気を追い風にして
mammyは マミヤ唯一の ボルタ判フイルム専用カメラとして
主に 入門者向けに ( start35 よりも少し上の世代 )
1953年 昭和28年に 6,500円で発売されます
特徴的な黒いボディ 素材はもちろんベークライト
一見 start35のような トイカメラっぽい見た目ながら
実は 高級機さながらのスペック
45mm f3.5の 3枚構成のレンズ
シャッター速度も選択出来て 6枚羽根の虹彩絞りはもちろん
セルフコッキング方式の フイルム巻き上げ機構も備わっています
* *
同じ 1953年発売で
小西六に やはり写真の底辺拡大を目指して発売された
Koniletteがありました
同じベークライトカメラながら
価格は mammyより 少しだけ安い 5,500円
パトローネ入り 専用無孔フイルムを使うカメラでした
見た目は 66の蛇腹カメラを 二回りほどサイズダウンした
カワイイけど 当時主流スタイルのカメラでした
おもちゃみたいな見た目で カメラとしての評価がされていないmammyですが
実は Koniretteよりも明るいレンズが奢られています
そして あっと驚きの 工夫を凝らした仕組みが与えられているのですが
そこは あとでのお楽しみにしてもらうとして ( 私もまったく知らなかった )
当時の人気だった ベークライト製カメラの姿をしていても
マミヤはマミヤ 実は あなどれないカメラなのです
My mamiya mammyはどこからやってきた?
ヤフオクから入手したのは いつものことだったのですが
このカメラをみつけると 時々は入札していて
2,000円くらいで落札できたらいいな って思ってましたが
ずっと 縁はありませんでした
*
ある日 気になる mammyを見つけました
業者ではない 個人の方の出品で カメラはこれだけでした
何かいわくありそうで 気になったので
金額はともかく 勢いで落札
mamiya mammyが ついに私の元にやって来たのでありました
取引連絡で 来歴など尋ねてみましたので
やりとりの一部を 紹介します
~ わたし ~
~~~ 先程 ヤマトの営業所留めにしておいたのを 受け取りに行ってきました
~~~ 本来 裏紙の有るフイルム専用ですが 普通の35mmフイルムでも
~~~ 簡単に使えそうです 割れや欠けもなくとても良い状態です
~~~ 珍しいカメラありがとうございました
~~~ ご自身で購入されたのでしょうか いつ頃どのくらい使っていらっしゃたのか
~~~ ご面倒でなければ教えていただければさいわいです
~ 出品者の方 ~
~~~ 無事届いて良かったです 現在・・歳です
~~~ 小学6年生の時 修学旅行の際 親が買ってくれました
~~~ だから70年程前のカメラです
~~~ 当時はマミヤのカメラは高額だったと思います
~~~ 終活の為に出品しました
~~~ 実写はしていませんが 多分写ると思います
~~~ 喜んでもらえて嬉しいです 楽しんで下さい
~~~ カメラ本体も喜んでいると思います
~~~ 又 ご縁がありましたらよろしくお願いします
~ わたし ~
~~~ 貴重なお話し聞かせていただいて ありがとうございました
~~~ 修学旅行の際に買って貰えたということですが裕福なおうちだったのですね
~ 中略 ~
~~~ 多少不具合の有るカメラでも 手を掛けてあげると
~~~ 期待に応えてくれるのが 何ともいえず楽しいですね
~~~ 置物にしてしまっては惜しいカメラです
~~~ 貴重なカメラありがとうございました
というやりとりで
このカメラの歴史の一端を 知ることが出来ました
一人のオーナーの元で 70年近く時を刻んだ
mamiya mammy
カメラとしての 新たな スタートの 記録です
( まだ 前置きかい! )
mamiya mammy 分解と整備 35mm無孔フイルムで撮影
初めて対面した mammy
ブラックボディの 精悍な というか けったいなカタチのカメラ
形と名前が 妙にアンバランス そこはさておき
状態を観察します
何よりシャッターが 不安定
シャッター板に 赤さびが 発生中
ベンジン点滴で なんとかなればと試すも 回復せず!
ベークライトの本体
良くみれば 欠けがあるものの
幸い 特に大きな不具合や割れは無し
レンズの 前リングから 外していきます
こういうのは たいがい3本の イモネジで止まっていますが
mammyは 天地2本で留まっています
うち1本は隠れているので まるで抜け落ちたように見えますが
奥まったところで 役目を果たしています
知らなかったので イモネジ作って止めてみたら
途中でピントリングが 回らなくなって あれ?
2本の イモネジ ゆるめても 簡単には外れてはくれないので
しばし 中断
接着されてるのかな~
リングと前パネルの間に カフェのテイクアウトに付いてくる
え~と名前なんだっけ そうそう マドラー!
木のマドラーを挟んで ( アイスの棒でもOK はじめからアイスの棒でよくね? )
ゆっくり慎重に 様子を見ながら締めこんで
は~ 外れました! お~ よきよき
回す前に 上から リングとレンズ本体の間に
無水エタノールを少ししみこませて なじませておきましょう ( 準備は大切 )
ベークライトのレンズ胴鏡は 隠れてしまう部分とはいえ
ちょっと ヤスリ痕も 雑な仕上げ
前パネルの3本のネジ フアインダー前の2本のネジ
そして 軍艦部の2本のネジを外したら メカ部分があらわれます
セルフコッキングのメカ
ギアのポッチが反時計回りにカムを押すとアームが押されて シャッターチャージ
よ~く動きを見てみると 発明家 間宮精一さんの
アイデアスケッチが そのまま形になったらこうなったよ みたいな
楽しんで 設計したのか まるで遊園地のジオラマようにも見えます
レンズは 3枚構成の トリプレット
取り付けは 向きを間違えないように
グリスは ぱさぱさでした
cute anasutigmat銘は マミヤで唯一の ベリーキュートなレンズ
konletteのkonitorの かわいいアピールに通じるコンセプトかしら?
おっと!
ここで レンズボードに 割れを発見!
おそらく 落下歴があったのでしょう
幸いだったのは 割れたかけらが 残っていたので
瞬間接着剤で 補修 足りない部分は 硬木で継いで完了
ベークライトは瞬間接着剤と 親和性が良いので 割れヒビに有効です
この割れていた部分 ( 左は ひびが入っていました )
おそらくレンズボードは 始め金属で作る設計だったんでしょう
ベークライトで作るには 薄すぎます
もしかしたら 金属のレンズボードの
mammyも存在しているのかもしれません
一度でもレンズから落としたら アウトでしょう
ここが割れた mammy いっぱいありそうだな~
って mammy そもそも 数が無いか~
さて レンズ
前玉は 汚れカビ 少々 年数から仕方ないよね
曇った中玉 後玉 ダメかと思ったけど
ぬるま湯で濡らした レンズクロスで拭いただけで綺麗になりました
前玉は ねじ込みで押さえてあるのでいいのですが
清掃のあと 取り付ける段になって
中、後玉が さあ困った ゆるくて止まりません
元々 反射止めの黒いペイントが 接着剤の役目をしていて
それが長い間に硬化して 剥がれてしまったのです
レンズの反射止めは薄めたラッカーを少しづつ塗って 良しとして
銅鏡の内側に 硬化しても柔らかいボンドを 小さく3か所
スペーサーの役目をするように
置くように塗って レンズを納めました
結果 しっかり止まるし 外すこともできるようになりました
さて 一番の問題 シャッターです
ユニットになっていて 持ち上げるだけで外すことができます
左右のマイナスネジ
左側は 下の板バネが 曲がりやすいので注意
右側は 細~いコイルバネが隠れているので
外すときは取り付け方を 記録するのを忘れずに
どちらか一方でも機能しないと シャッター切れないか 閉じないか どちらかです
指で押すと シャッターが開くのですが
思った以上にさびのせいで 抵抗が大きい
鋼板なので 腐食は わずかでした
シャッター板のさびも落としたのですが
切れたり 切れなかったり
バルブは 開きっぱなしだったり 安定しません
鎌の形のアームが 上をすべることで シャッターが切れるのですが
たくさん使われたカメラなのでしょう
竹串で示している部分に 段が付いてしまって
スムースに動かなくなっています
紙やすりで 段を整えて 硬い金属のへらで
表面をピカピカにしてグリス少々 動きがよみがえりました
絞羽根は なんと6枚羽根の 虹彩絞です ( koniletteは4枚 )
羽根の打ち抜いた時の バリがそのまま位置決めに使われていて
上手いコストダウンになってます
順番に 納めて 後玉を取り付けると ok!
正六角形ではなくて 亀形っぽい かめ絞り はご愛嬌ということで
誰も知らないmamiya mammy 本当の姿
mammyには フアインダー内に
距離を教えてくれる 仕組みが備わっています
レンズのピントリングを回すことで謎の枠が左右に動くのです
だから何なのさ って思うでしょう
はじめ 軍幹部を開けたとき
ピント合わせによって左右に動く
これはいったいなんなの? って思いました
これで鳩は 出ないよな~ って感じ
そうこうしていたら ボデイのすき間から 謎のアレが出てきました
こ これはっ?!てことで 謎枠に合わせてみると ぴったり収まりました
接着もされていない 差し込んだだけで 収まるつくりです
たぶん 落とした時に はずれたのでしょう
この仕組みは フアインダー内で距離を知らせてくれる
今風に言えば フォーカスアシスト
すごいのは 無段階に動くのではなく
最近で赤 2mの常焦点を過ぎると くっ! と動いて
10mになると すっ! と青になる そして無限遠
こうして いちいち レンズの距離を見ることなく
ピントが 把握できるのです
実際の フアインダー窓
撮影するように 覗くと ぼんやりとピンクや ブルーになるのが わかります
1953年当時 アナログながら 先進のシステムを備えていた
凄い mammy !
mammyで腕を磨いた カメラ少年 カメラ少女なら
数年後発売された mamiya35 を手にしても
使いこなすのは 訳はなかったでしょう
ピントだけでなく 絞りも 使い勝手に 工夫が凝らされていました
絞は右一杯で f3,5
真下は f5,6
一杯左で f16 そこから更に指先で押し込んで f22
使い慣れれば 中間のf4 や f8も 合わせることが出来そうです
つまり mammyは シャッター速度を合わせておけば
あとは ファインダーをのぞいたまま
距離、絞を 思ったまま操作できる
きわめて オート?な仕組みを備えた カメラだったのです
間宮精一さんが 当時の若いカメラが大好きな人に
高価なカメラと何ら変わらない 仕組みを なんとか届けたい
そんな設計者の 熱意 誠意を感じるのでした
マミヤの最も 間宮精一さんらしい カメラは mammy ?
もしかしたら 若かりし頃の自分に 使ってほしかったカメラを作ったのかもしれません
mamiya mammy まとめ
mammyは 裏紙の有る ボルタ判フイルムカメラとして誕生しました
もう新しいボルタフイルムは ありません
だからといって 使うのを諦めては もったいないです
さいわい 35mmフイルムが同じサイズなので
遮光モルトを張り巡らせることで 裏紙無しでも使えました
35mmパトローネから ボルタ判サイズの スプール パトローネを作りました
と言っても ダークバック必要ですが
このカメラ フイルム装 填側に 軸が無いので
ダークバッグのなかでフイルムを巻いても カメラに収める時
巻きがゆるんで 飛び出してしまうので 収めるための 簡易パトローネです
スプールにフイルム端を固定したあと この中で 巻いていきます
こんな風に フイルムが収まって 飛び出しません
ボルタ判のカメラなら 大体のカメラ( 裏蓋式 )に 使えそうです
mammyにも ドイツ製 ORWO( オルヴォ )の
パーフォレーションの無い フイルムを使ってみました
前記事の baby ikonta の記事も 読んで頂ければと思います
真ん中は ラピッドマガジンですが
長巻のフイルムの両端にハサミを入れる際に 役に立ちます
一つあると 時々 便利です
モノクロ カラーネガ 共に撮影しました
24×28mmが 本来の画面サイズを 28×28mmに改造
なので ましかくに 写っています
もっと 慣れて mammyの実力を 発揮できるように
まずは ボルタ判フイルム無くても 使えるよ~ って言いたいです
*
長々 読んで頂いて ありがとうございました
楢崎の でした
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